その「日本語」という存在

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ごきげんよう、のえるです。


『その「日本語」という存在』


なんとなく、先週・先々週と「ライトノベルを題材に自身の嗜好性の変化」みたいな話を
かきましたが。
あのあとG.Fと色々話していたときに気付いたことがありました。。
なので今回ももう一度続き的な話になります。


さて。

私が「西尾維新氏の作品が読みやすい」と感じた一番の理由。
それはやはり、

「日本語が綺麗」

だからだと思います。
西尾氏の作品で本当にちゃんと読んだのは「化物語シリーズ」とあと数冊ほどですが、
一番知名度のある化物語シリーズは非常に時事ネタが織り込まれています。

しかしその織り込まれている文章も、もってまわった表現や不必要にじらす文章だったり
するのですが読んでいて不快に感じることがありません。
これはその書き手さんの文章が、自分にとって読みやすい他なりません。

ではどんな文章が読みやすいのか?
無論個人差はおおいにあります。しかしその中でも多くの人が読みやすいと感じる文章は
やはり「整った日本語」だと思います。

西尾氏の作品を見ると、たしかに時事ネタにまじえてその時その時の流行言葉を織り交ぜ
て愉快痛快な文章を構成されております。
しかし、その根底に氏が「日本語」を非常に丁寧に会得している部分があるかと。

この「日本語」をきちんと自分のモノとしている人物は、当然自身がつむぎだす文章も
それに習ったものになると思います。

「キレイな日本語」で歌を作られていたシンガーソングライターの村下孝蔵氏。
彼の作る歌詞は本当にキレイな日本語でした。
氏の書かれた歌詞は一部の和製英語(シャツやグラスなど既に日本語になっている言葉)
以外はすべて日本語でつづられています。

小説と歌という違いはありますが、私は両氏の書かれる文章からは「日本語が好き」とい
う思いのようなものが伝わってきます。


ゲームだってそうですよね。
特に私が主に扱うアドベンチャーゲームは「文章」が主軸。
この文章が読みにくかったりすると、とたんにゲームをプレイするのが苦痛になり好き
な設定やキャラ、絵描きさん作品であっても投げ出してしまいます。

世の中には数多くのゲームがありますから、中には最初の一文で不愉快になるほど文章
構成が破綻しているゲームすら存在します。
...チェックする人いないのかな? いくらなんでも不自然な文章だろう...と。

「文章」は、「言葉」とはいろんな意味で重要だなぁと改めて実感しました。


というところで今回はこのくらいで。
それではまた、ごきげんよう~。